「垂井の歴史探訪ウオーク」 なごや金鯱歩こう会9月例会に参加  04年9月26日(日曜) 天気 うす曇  距離 14キロ
コース = JR東海道線 垂井駅 〜 垂井の泉 〜 中仙道 〜 相川公園 〜 垂井一里塚 〜 朝倉運動公園(昼食) 〜 朝倉山真禅院 〜 南宮大社 垂井駅ゴール

9/26(日)は、なごや金鯱歩こう会の例会に参加して参りました。 パパは自分の仕事の関係で時々この町には来ていますが主幹道の近くの為町並みを通るのはまったく初めてです。 マイカーで自宅から名神小牧→大垣インター→垂井駅と、1時間もかからずに到着です。 垂井の伊藤さんがお住まいのところですがジックリと歩いてみたいと思っています。(でも本日は都合で欠席と事前TEL有り) 先ず一枚目はみーちゃんも名前を覚えたのでは思うパパママ大好きな方々との朝のオハヨウ記念です。
そして朝のご挨拶の世話人代表の平木さんですが、パパはこの方にもウオークのアレコレを教えて頂きました。一時期体調を崩されていましたが、この春より復帰で来年の夏は富士山行きの予定だと仰ってました。



駅前でストレッチ体操も済ませイザスタートですが、ちょっと歩いてはヘエェ〜!そしてまたまたチョットでフウゥ〜ンって、アチコチにいろいろな「もの」や「事の場所」が有り、カメラ写真が追いつかないほどです。 左は「垂井の泉」という清水の源流地でしたが、ソコにはケヤキの古木が立っていました・・・写真では分かりにくいかもですが、太い幹の中が完全に空洞で大枝の先もカットされていてこの上は若木がモシャモシャってなってました。 ココでどれだけの人々が喉を潤し汗を流したのでしょうか? 戦国時代ももっと前も・・・この木は今もパパたちを見てくれています。  中仙道の町並みに相応しい建物もいっぱいですし、右のは南宮大社への「一の鳥居」だそうです。


そして社寺仏閣もいっぱいですが、平木さんがパパに「たけひちゃん よう来たね」って言ってくれました。 そしていろいろな歴史の話や社寺の見所を語ってくれました・・・でもパパはなかなか覚えられず・・・期待のミナサマすみませんです。 途中で一服の公園では、ゆきさんと八手亦さんとママですがこうしてひとり一人のお名前を覚えていくパパで有ります(忘れる人も少なくない)  今日のコースリーダーは吉田さんですがココの会では「案内人」って呼んでいます。 歩くことのルールもハッキリしていて「迷惑ウオーカーは排除です!来なくてよろしい、いや来るな!」なのです。 さあママも行儀良く歩きましょうネー


やはり中仙道です・・・垂井の一里塚でありました。 ユキちゃんも通ったし・・・そうそう先週の3連休を利用して「風に吹かれて」のファミリーも通られたのだそうです。 昨日9/28時点ではレポート作成中のようですが、彼等が歩いていた事に気付くのが遅れたパパです。 この写真たちのアレコレに似たのも(いや・同じもの)も載るかもです。 鵜沼から関ヶ原辺りまで進んだようですが・・・待ち遠しいアップです。  その塚の後ろにはお茶屋も兼ねていたという建物でしたが弘法様を祭っていて札所にもなっていました。


そしてお昼休憩ですがドデカイ朝倉運動公園というところです。 野球グランドも何面も有りプールやなぜか温泉の源泉が沸き出ていました。 そして新幹線が通るのがバッチリ見えます。 今度関西方面行きの時には車窓からココをウオッチしなくちゃって思いながら仲良しメンバーとお弁当なのであります。 最近は高祖さん親子たちと遭遇が多いです。 ごんごの堀さんを含めお互いに来週はどちらへ〜?って情報交換の結果がこうなっていますデス。 10月の滋賀県の水ウオークもお誘いを頂きました。 ふーみんさんとも徳さんとも山田さんとも・・・いっぱいの友だちの輪を確認に出掛けたいナーであります。 (右の写真はゆきさんから拝借です)


昼食後は朝倉山真禅院でしたが下見のメンバーがここの住職にお寺の歴史や古物の説明を依頼されていたようです。 短い時間でしたが上手にご説明をして頂きました。 この梵鐘も岐阜県で一番古いものだそうです。 国の重要文化財にも指定されていて文化庁からは「これ以上突くと割れるから突くな!」ってご指示だそうです。 でも年1回の除夜の鐘の時は参拝者の方々に突いて頂いてますって説明でした。


いろいろな説明を頂き次の南宮大社へ移動ですが、関ヶ原から続く山々にはさまれたこの狭い土地の山腹にこの社寺たち・・・昔はお坊さんも刀を持って戦に参戦していた時代も有ったのですが・・・この山を背にした高台はその意味で良い場所となったかもです。
ママと高祖妹さんを後ろから撮っていたら察知されてのハイチーズでありました・・・そして広がらないウオーク実践の金鯱なのです。



ここ南宮大社は金属を司る神様の金山彦命(かなやまひこのみこと)お住まいだそうで、鉱山や金属業関係の方々の信仰の総本宮なのだそうです。 関ヶ原合戦の際に社殿が全焼し、現在のものは寛永19年(1642)に徳川家光によって再建されたものって書いて有りましたが、ココを眺めていると合戦の悲鳴や怒号さえも聞こえてくるような気がしました。 でもいま我々はウオーキングでココを通らせて頂いている・・・コレも歴史の一時です。  

14キロのウオークでしたが南宮大社の後は美濃路の松並木も通りました。 中仙道と美濃路の分岐となる「追分」です・・・分かれ道を「追分」って言う・・・「落合」ってのも道の合流地点をいうって誰かが教えてくれました。 出逢いと別れの分岐点・・・正に人生でもあります。 そして楽しい一日を過ごしたココのみんなも垂井駅に戻りそれぞれに「追分」となるんです・・・ちょっと意味がちがうかな?・・・久々の金鯱歩こう会への参加でしたが楽しい一日の記録でありました。 


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