どなたにも何かを始めたキッカケというものがあると思いますが、パパママがウオーキングというものを
始めた時のお話デス。 苦しくツライ・・イヤイヤ楽しくて素晴らしかった・・あの一日のコトが忘れられなくて
また思い出したくて・・・そして現在があるのです。

 パパママがウオーキングというものに「ハマッタ」理由(ワケ)      04.2.15記 竹樋パパ
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 1998年10月 地元中日新聞に岐阜ユースホステル主催のウオーキングの案内が載っていて、パパママは軽いハイキング気分で「参加してみよう」というコトになったのです。
金華山の山腹の岐阜ユースから谷汲山までの30キロコースでしたが、土曜日前泊をしての夜のミーティングでは館長の野村さんが「人間も動物です。動く物なのです。さあ明日はミンナで歩きましょう!」と明るく楽しいコース説明が有りました。
「参加者の一言」も有り、年配の方々が「皆さんにご迷惑を掛けないようにしたい」とか「病み上りなのでノンビリ歩きます」なんてコメントがイッパイで、パパママも安心して床に就いたのです。

そして朝5時起床、宿泊人数の関係も有り60名ほどの参加者でしたが6時ピッタシのスタートでした。
ところがスタートと同時にミンナ(ジジババも)誰かに追われているのでは思うほどの勢いでパパママたちの視界から消えて行ってしまったのです。
残された素人組は「どうせウサギとかめ・・途中で追い越すでしょう」って会話を楽しみながら「サンポの始まり」だったのですが、30キロという距離感も時速何キロと言う感覚も無く、時間だけが経過していたのです。 


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秋の岐阜の山あいはミゴトな景色で「柿や栗・銀杏もイッパイ」後ろにはユースのスタッフの方もおられ、バスによるコース巡回も有り、その時々に励ましのお声掛けも頂いてのウオーク、途中ではパンとジュースのオヤツも有り、ゴールに行けばオニギリと豚汁も待っているとのコトです。
・・・が、丁寧な地図の予想通過時刻と自分たちのいる場所にズレが生じてはや数時間
行けども行けどもウサギは居らず、残ったかめたちにも「アセリ」という感情が湧いてきたのです。。。

最初のニギヤカがだんだんと無口になり更に不機嫌になり、怒りに変わる・・・でも行かなくちゃパンも握り飯も無いのです。
スタートから約8時間、ゴールというものを予想出来るところまで来て、またまた元気回復のかめたちは「こんな気持ちの良い日は初めて!」とか「あなたと知り合えて良かった」などと、またまた会話が弾みだしたのですが、ミンナ歩き方が変、パパも足の裏がヤケド感覚、ママも太ももがパンパンとのコト、そして谷汲駅の横を通過した頃からなんかミンナのスピードがアップしだし、パパママも右折を予想して一つ手前の信号を横断しミゴトかめ組の先頭に立ったのです!
信号待ちの連中がまたまた猛追!
でも谷汲山「参道バトル」もつかの間で「ミンナで一緒にゴールしましょう」と言うコトになり、仲良く山門横のゴールにたどり着いたのです。

ゴール後はユーススタッフ手作りの「オニギリと豚汁」を腹いっぱい頂いたのですが、先着の皆さんから暖かいエールを頂き胸もイッパイとなった一日だったのです。
あの一日のコトはこの程度の文章では書ききれませんが「その日が有って皆さまとの今日が有る」のだと感謝しています。



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帰宅してから靴下を脱ぐと、ヒリヒリの両足の裏に水ぶくれがイッパイ・・・爪も浮いてる、翌日月曜日は当たり前だが仕事行き・・・でもまともに歩けない・・・職場でも昨日のコトのいろいろで頭が回らずボンヤリの一日となっていました。

そして1998年11月「かち歩き大会」というものが有り懲りずに参加。
名古屋城から犬山城まで26キロでしたが、ココで知り合ったご夫妻から「愛知県歩け歩け協会」のことを教えて頂き、愛歩入会申込みの資料なども送って頂き、1999年1月から愛歩会員となったのです。
この方とは今は年賀状のお付き合いだけですが、入会当初は「ウオークのコト」や「靴」や「リュック」や「カッパ」などなど、いろいろと教えて頂きお昼もご一緒でした。
穏やかな奥様と物静かなご主人のカップルでしたが、その夏にご主人が体調を崩し秋に他界・・・それを知ったのは知らずに出した年賀状への寒中見舞いのハガキででした。 今も立ち寄る社寺で思い出して合掌です。

ではでは パパママのウオークを始めたキッカケのお話で有りました。

追記
この経験から自分の「脚力の弱さ」と、歩くというスピードで自然と向かいあうことの素晴らしさを実感したパパママは「歩く」ってコトに対し違う目線が生まれたのでした。


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